選手紹介:ギイェルモ・フランコ
2006年組その6人目は、アルゼンチン人です。メキシコ代表だけど。
帰化人で今回のメキシコ代表に残ったのは結局ギジェだけだったなあ。
フルネーム
ギイェルモ・ルイス・フランコ・ファルクアルソン(Guillermo Luis Franco Farquarson)
ギジェルモという表記のほうが定着していると思いますが、メキシコではギイェルモという発音のほうが通りがいいです。
背番号
9番
メキシコのモンテレイでは10番。
あだ名
ギジェルモを縮めたギジェ。
メキシコではこれまたギイェという発音になりますが、管理人の首尾一貫しないところで、こちらはギジェと表記してます。すいません。
生年月日・生誕地
1976年11月3日(33歳)
コリエンテス(アルゼンチン)
ポジション
FW
献身的なプレイによりアシストも得意だけど、本質的にはセンターフォワードだと思う。
身長・体重
182cm
77kg
経歴
メキシコには2002年モンテレイに移籍して以来2005年までの3年間。ずっとモンテレイ。
モンテレイでは間違いなくすごいストライカーと言っていいFWだった。
メキシコ国籍取得は2004年年末から2005年はじめにかけてのことだった様子。
で、問題は国籍取得の本音が、アルゼンチン代表には呼んでもらえないけどメキシコ代表なら、というところだった点で、その下心があまりにもあからさまだったので、いろいろと議論を引き起こしてしまった。
シーニャのように10年もメキシコでプレイしてすっかりメキシコ人になりきっている、というわけでもないところも、問題だったかも。
でも本人はとにかくメキシコ代表でプレイしたい!!!という気持ちははっきりしていたようで、ラボルペ監督に代表招集されたのが2005年10月。
メキシコ代表デビューはW杯予選の対グアテマラ戦で、ギジェも1ゴール決めました。残り4ゴールはキキン・フォンセカが決めた(!!!)んだが、試合後インタビューはギジェに殺到したというくらい話題の中心だった。
まあその次の試合でまさかの(失礼)トリニダード&トバゴに負けて、それはそれで問題だったんだが……。
しかしとにかくギジェはありとあらゆる帰化人代表問題に関する議論をひたすら献身的にプレイすることで鎮めようと努力してましたね〜。
代表デビューはいつだっけ、と自分の過去記事をひっくり返していたら、当時書いたギジェの様子、こんなふうに描写してました。
涙ぐましい努力してるよなあ。
ひたすら良い子、善い人を貫き、でしゃばらず、懸命にプレイして、自分ばかりでなく人にもどんどんパスやセンタリングを上げ、誹謗中傷は一切せず、批判もせず、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べて、いるかどうかは知らないが。
まあその努力が実って、とりあえず2006年ドイツW杯には見事メキシコ代表選手として参加したけど、結局ゴールは本番ではなしだった。
2005年開幕シーズン、モンテレイはリギージャ決勝まで行き、エレラ監督のもとでかなりイケイケな雰囲気でした。
決勝の相手はトルーカ、で、なぜか決勝戦でギジェを含むモンテレイの複数の選手たちとエレラ監督までが髪の毛を金色に染めちゃって、めっちゃ楽しそうでしたねえ。
まあリギージャは負けましたけどね。
そしてギジェはその後、メキシコ代表ではなくモンテレイの活躍を認められたんだと思いますが、スペインのヴィジャレアルに移籍。
行っちゃったので、その後のギジェがどのくらいプレイしたのか活躍したのかは把握していません。
ただ、わりと怪我が多くてあんまり出場してないのかな〜、というイメージではありました。
ヴィジャレアルには2009年までいて、その後ウェストハムへ。
メキシコ代表には、ウーゴに一回、エリクソンに一回呼ばれてプレイしましたが、特にいいところもなくそのまま立ち消え。
でもアギーレになってからは、代表でもまたわりとゴールも決めたりしてるんですよね(9試合参加5ゴール)。
やはりメキシコらしいスタイルのサッカーに合う選手ってことなのかもしれません。
メキシコには珍しい大柄な選手でもあり、それゆえにかあまり距離を走る印象のない、どちらかと言えば典型的なセンターフォワードなんでしょうが……ゴール前での献身ぶりはすごいもんです。
ついでに、自分がゴール決めたときの喜びっぷりもすごいです。