長文コラム:サッカーはアナログか?

 今福龍太『フットボールの新世紀』。だいぶ前に読んで面白かった本なんですが、ここに書かれた野球とサッカーの比較が私にはすごくしっくりきたのに、その話を人にするとなんか伝わらない、ってことが何度かあり、まあツイッターだのブログのコメント欄だの、字数に限りがあるからかなあ、それとも私の表現力の問題か!?
 そこで一度、ちゃんと本から引用しながら書いてみようと思ったわけです。ちょうどW杯で盛り上がるところだしね。


 今福龍太という人はメキシコやブラジルに住んだことがある文化人類学者で、中南米サッカー好きな人です。まあメキシコも住んでいた関係からちょっとはフォーカス当てられてますが、それよりはやはりブラジル重点、アルゼンチンとか南米のほうが話には多く出てきます。普段はクレオール文化とかに関する本を書いているようですが、この『フットボールの新世紀』はサッカーにまつわる話ばかりを集めた本です。


 で、そもそもの私がうまく伝えられなかったことってのは、
野球はデジタル、サッカーはアナログ
 ってことなんですが。いや実は、ちゃんと本を読み返したら、「野球はデジタル」だとは書いてあるけど、サッカーがアナログとはどこにも書いてなかった……!w それは私の脳内の勝手な解釈でした。でもそれも、そんなに間違ってないと思うんだがなあ。
 というところを、つらつらと本から引用しつつ書いてみます。


 まず、問題の文章があるのは「1997, Tokyo 二十世紀最後のワールドカップのために」という章です。その文章が出てくる少し前に、「サッカーにおける国家代理戦争」という小見出しがあって、そこにも面白いことが書かれているので、ちょこっと引用。
 1994年の米国W杯で、著者の不満は「負けないサッカー」がこの大会に横行したことであった、という主旨の書き出しに続いて、

「負けないサッカー」ではなく「美しいサッカー」を標榜する伝統を持ったコロンビアやメキシコといった魅力的なラテン・サッカーのチームが早々と姿を消し、防御的な布陣を敷いてカウンター攻撃で勝利して勝ち上がったヨーロッパ系のチームが粗野で凡庸な試合を繰り返す。決勝に出たブラジルですら、イタリアの前に徹底して守備的に試合を運び、ついには双方引き分けでPK戦でなんとか決着をつける……。こんなサッカーを私たちは本当に見たかったのだろうか?(100p.)

 とまあ、メキシコが「美しいサッカー」の例として挙げられているから引用したわけではないわけではないですよ?w 
 で、こうした「負けないサッカー」をするチームばかりが勝ち残って、引き分けの末PK戦という展開が増えることに対して苦言を呈したこの小見出しの次に、「PK戦という欺瞞」というのが来ます。

 あまりにも素朴な問いのように聞こえるかもしれないが、そもそもサッカーの本質において「勝つ」こととはどれほど魅力的なことなのだろうか? (103p.)

 という書き出しで、

 (近代スポーツは)本来はからだを動かす快感とそうした運動する身体を眺める審美的な快楽とを含む活動領域のなかに、競争主義的な「勝敗」という決着の制度を無理やり導入することで成立した。ルールというものが、身体運動のシステムを勝敗のシステムに変えていったのである。だが、私にとって、サッカーというものをプレーし、あるいは観戦する根拠は勝敗ではなく、そこで動き回る丸いボールと人間の肉体と想像力の三者の美しくも陶酔的な連携だけにある。

 なんかね、私はこんな高尚な言葉では考えてませんでしたけどw、内容としては「そうそう、そのとおり!」って言いたくなるんですよね。特に太字部分。ボールの美しさと人間の動きはもちろんですが、想像力も大事。次の動き、先の展開を予想しながら見て、そのとおりになったときの快感、それを裏切られてもっといい形の展開になったときの感動。そういう試合だったなら、たとえ負けても、ああいい試合だったと思うし、そんなに負けた気もしないんです。たとえば2006年ワールドカップのメキシコ対アルゼンチンとか。だって、勝敗は二の次だから。
 さて、続き。

 一つ一つがまったく異なる自立した美的な強度を持つはずの「ゴール」というリアリティを、すべて均質な数学上の一点に換算して得点の優劣を競うということ自体、サッカーの純粋な美しさや快楽とは本質的に相いれない部分を持っているのだ。(……)ただたんに、勝敗を決するためだけに放つPK戦におけるゴールにまったく興奮することができないのも、まさにそのためだ。(……)ゴールという至上の美的プロセスを搾取するPK戦は、私にとっては認めることのできない、もっとも非サッカー的な行為だというしかない。(103〜104p.)

 とまあ、こういう話のあとで、この文章の続きに、角カッコつきで、

[あえて注釈しておけば、野球のようなスポーツにおける得点はまったく別の意味を持っている。野球はもともと徹底してディジタルな構造を持ったスポーツである。ストライク-ボール、セーフ-アウト、表-裏といった二者択一のディジタルな選択肢(0と1の配列で組み合わされたディジタル信号と同じ構造)のいずれかにプレーが帰結することで、ゲームが進行する。そこでは一点、二点という得点の数字も、野球全体のディジタルな構造を支える条件としてはたらく。三点のビハインドで迎えた最終回の攻撃で二死満塁になってホームランバッターを送り出す、などといったときの野球的興奮は、まさに数学的なディジタルな構造がもたらす興奮として野球特有のものである。]

 ここなんですよね、私が勝手に上記のように脳内変換しちゃったのは。まあ私は野球は日本にいたころ漫然とテレビは見てたし、一応学校でもやったかな? 基本的なルールは知ってるつもりですが、それだけ。で、ここを読みながら、勝手に納得しちゃった。そうかあ、野球はデジタルなんだ、そんでサッカーはアナログなんだ、と。


 2010年ワールドカップであの大誤審があったとき、ビデオ判定を導入しないからだ、サッカーは遅れている、というような意見がある人のブログで出ていて、そりゃまあ私としてもあの誤審はものすごく悔しかったですが、でもこの本を読んだ2005年くらいからずっと、私は「サッカーはアナログなスポーツ」って思ってたので、そんな簡単な問題ではないと思ったのです。
 野球のようにセーフ‐アウトのデジタル判定なのではなくて、個々の性格や基準を持つ審判という人間の判断によって、ファウルも微妙なところでイエローだったりカードなしだったりレッドだったりする、そういうアナログ。もちろん明らかな誤審はダメなんだけど、でもその判断ミスも人間的なアナログであるサッカー。
 そもそもサッカーのプレイヤーたちにはポジションはあるけど、どのポジションだったらどこからどこまで、とか決まってるわけじゃなく、みんなが入り乱れて走っていて、ゴールを決めるのはFWだけじゃなくて(特にメキシコではw)MFどころかDFやGKまでゴールを決めちゃう。それが面白い。そういうアナログ。
 11人とボール1つが入り乱れて動き回って、そのなかではっきり数字にはできないけど、人間の意識には見える流れができて、そこから生まれるゴール。同じゴールはぜったいに二度とない。そういうアナログ。


 でも2010年のそのときには、アナログ=アナクロ(時代遅れ)と解釈されちゃったのか、サッカーもデジタルになれるといいですね、みたいな返事に、そこで諦めてしまいました。もういいや、わかってもらえなくても別に、と。
 私は時計もデジタルよりアナログが好きだし。って問題でもなくてw
 サッカーはアナログなスポーツなんです。そうだと、私は思う。違うかもしれないけど。アナログなスポーツであるサッカーを愛してるのだから、デジタルになれるといいってのはもう本質的に話が違う。野球になれるといいですね、って言われたようなもん。野球はもうあるから、いいんだよッ! 


 いつだったか日本に一時帰国したとき、野球大好きでサッカーも見るという友人としゃべってて、野球についてあれこれ教えてもらっていたら、ふと思いついたことがあります。「そうかあ、野球って延々と最初からPK戦やってるようなもんなんだ!」 で、友人にも笑いながら賛同してもらいました。まあ野球の場合、GK(バッター)がシュートを弾き返したら、そこから普通に走る試合がチョロッとはじまるわけですけどw でもちょっとだけね。すぐに決着がついて(アウトになるなり、出塁するなり)次のPKとなる。
 これなんかも、今福氏の言葉と考え合わせると、PK戦ってもののサッカーにおける特殊性がよくわかると思いました。いや、もちろん特殊なのはわかってたけど、どう特殊かってことが。


 さらに書いちゃうと、私はPK戦に美しさを感じない(まあ誰も感じないかw)って点では今福氏と同意見だけど、まあでもトーナメントとかで勝敗決めなきゃいけない場合のやむを得ない形式としてはありかなー、とは思います。それこそ野球と違って3時間とか4時間とかプレイできないんだしさ(選手、壊れちゃう)。
 そしてPK戦には美しさはないけど、緊張感はある。ゴールとも呼べないようなもんだけど、決まるか決まらないかが一瞬で決する、あの緊張感は選手が一番感じてるんだろうけど、見てる側も手に汗握るよね。そうかぁ、野球ってそういう面白さ(美しさではなくて緊張感)のスポーツだったのかあ、と当時、勝手に納得。
 たまにテレビで野球を見ることがあっても、サッカーを見慣れた私には、ピッチャーが神経質に帽子をかぶり直し、ボールをグラブに叩きつけ、足をぐりぐり地面にこすりつけ……ああいうの見てるだけでこっちもイライラしてくるわー、さっさと投げんかい、このー、とか思ってたw で、実際のプレイは一瞬で(まあたいていは)終わっちゃう。たまに打たれても、ひゅーんと飛んでキャッチされて終わるか、そこから投げて終わるか。つまりプレイ時間より待ち時間のほうが長いw スポーツというよりゲームですよね。
 という、徹底して間違った、サッカー的見方しかできてなかった(いや、たぶん今もできてない)わけです。サッカーは、45分を2回、ずーっと流れを眺めていないと面白くない。ビールを取りに冷蔵庫までも行けないじゃないか、と言った反サッカー派の友人もいますけどね。90分も見るのかったるいからダイジェストを見て結果(勝敗)がわかればそれでいいんじゃないの、とも言われましたけどね。サッカーってそういうものじゃないんだよなあ、少なくとも私には、サッカーはアナログだから、と思ってしまうわけですね。



 今年のワールドカップ、「負けないサッカー」ではなく「美しくアナログなサッカー」が見られるといいなー、と思います。